恩師を訪ねて~古英語の海原に舟を編む~

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恩師を訪ねて~古英語の海原に舟を編む~


「ディープ・パープルのスモーク・オン・ザ・ウォーターだ。」イギリスのロックグループの有名楽曲を例えに用いたのはお堅いと思っていた“大学の教授”だった。授業は大変だったというのに何故だか惹かれて小島ゼミへ。そうして小島ゼミ一期生となって触れた、知られざる古英語の世界と小島教授の魅力。同じゼミの仲間が英語関係の仕事に就く中、就職売り手市場の時代に選んだのはたった33人の印刷会社だった。
恩師のゼミと同じ「ワクワク感」を感じて入った水上印刷にて、採用活動を担う総務部のトップとなった今。恩師に尋ねる。

恩師を訪ねて第二弾、
早稲田大学 教育・総合科学学術院 小島謙一教授を訪ねました。


小島 謙一
小島 謙一
早稲田大学
教育・総合科学学術院 教授

HP:https://www.waseda.jp/

-Profile-
早稲田大学教育学部英語英文学科教授。
1000年以上前に話されていた英語の原型「古英語」研究の第一人者。
卒業論文指導範囲は古英語研究、古英語文学研究、英語史全般、イギリス文化史、バイキング関係、語源研究、ブリティッシュ・ロックミュージックの系譜と幅広い。

著書:「アングロサクソン聖者伝」大学書林、「古英語辞典」大学書林
共著:「古英語文法 」大学書林 森田貞雄/三川基好/小島謙一

村山 幹子
村山 幹子
水上印刷株式会社
総務部 部長

HP:http://www.mic-p.com/

-Profile-
水上印刷株式会社 総務部部長。
1989年、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。小島謙一ゼミ一期生。友人にもらった「リクルートブック」で偶然見つけた「『たった33人の印刷屋』そう思ったら読まなくていいここからの4ページ」、という水上印刷の挑発的なコピーに惹かれ、入社。百貨店宣伝課、複写機マニュアル、テストチャートなどの営業担当を経て、総務部へ異動。総務と経理の責任者として駆け回っている。

英語のいしずえと英雄たち

村山: では先生、まず古英語について教えて頂いてよろしいですか?全然知っている人がいないと思うので。

小島: 古英語についてね。古英語はみきちゃん(村山)も知っているように、今から1400、1500年前頃から数百年間話されていた言葉で、元々は大陸にいた今のドイツ人たちの、特に海っぺりにいた人たちの言葉なんだよね。低地にいた人たちがイギリスへ渡って来た時に、持ってきたのが英語の原型なわけ。
渡ってきた人たちの言葉が訛っていって、大陸の人たちの言語とだんだん離れ、独特の変化を遂げたものが古英語、英語の一番基礎と呼ばれるもの。

英語の基礎が運ばれてくるよりも前、かつてイギリスはローマ帝国にずっと乗っ取られていたのだけれど、ローマ帝国がやたら自分の国のことで忙しくなっちゃったもので兵を引き上げる。そうすると何百年間もローマの支配下というか、保護下に置かれていたイギリスは防御ができなくなる。
ヨーロッパの北の方、今でいうスコットランドにはスコット人たちがいて、これがとにかく戦争好きだったの。だから、ローマがいなくなればイギリスを狙ってくるに決まっている。これは危ないといって、イギリスにいたケルト人たちは大陸にいたゲルマン民族の一部の人たちになんとか助けてくれと。

村山: 応援要請を?

小島: そうそう。その代わりにちっちゃい土地をくれてやると。ゲルマンの海側の大陸の人たちは「それでいいよ」と。そういう約束で来て、退治してくれたの。これは人間の常なんだけども、退治した後にちっちゃな土地を貰ったってゲルマン民族は満足しない。しかもここにいるケルトの連中は弱いっていうのがわかっている。だからケルトの人たちも退治しちゃおうということになって、ケルトの人たちはどんどん追いやられていくの。

写真:古英語を育んだ大陸

そして、追いやったゲルマン民族っていうのが「アングル」っていう民族と、「サクソン」っていう民族と、「ジュート」っていう民族。「ジュート」の名前は残ってないけど「アングロサクソン」って言葉はあるでしょ?あれは「アングル」と「サクソン」から来た人たちの名前なんだな。

で、追いやられていった人たちがどこに行ったかというと、地図を見てもらうとわかるけど、大陸から来ると当然イギリスの東側からやって来ているの。東から西へどんどん攻めていくと当然ケルトの人たちは西へ逃げるしかない。そして、今のウェールズの方に逃げていくの。だから未だにイングランドとウェールズっていうのはそこでラグビーの試合なんかをやるとものすごく仲が悪くなる。これ未だに続いているの(笑)。

村山: なるほど(笑)。

小島: ゲルマン民族のアングロサクソンが攻めていく中、ほとんど連戦連勝なの。なんせケルトは今の日本人のように「アメリカがいるから大丈夫」って思っちゃって安心していたのに、そのアメリカに攻められちゃったようなわけだから。
でも、その中で記録で一回だけケルトが勝つ場面があるの。このケルトが勝った時の大将。この人の名前がものすごく有名なの。知ってる?

村山: 忘れちゃった、先生(笑)今聞かれたら嫌だなって思っていたんです(笑)。

小島: 多分みきちゃんに教えてないと思う(笑)。
今は英語史研究っていう授業があって、そこで話すことなんだけど。ケルトが一回だけ勝ったという記録があって、その時の大将があの有名なアーサー王伝説のアーサーなんです。

村山: ああ!

小島: これがね、本当にアーサーだったかっていうと、はっきりはしないんだ。僕がロンドンに居た時、偶然みきちゃんが遊びに来た時なんだけど。新聞に変な字が書いてあるなにか丸いものが出土した、という記事が出た。その変な字は無理に読めばアーサー “っぽい”。

村山: えー!“ぽい”?!(笑)

小島: はっきりはしない。それがとにかく、その地方で見つかったと。
アーサーという人はすごく世界史上有名でしょ?だけど、アーサーっていう名前が出てくるのは歴史上、その一度だけなんです。後から円卓の騎士だとか尾ひれがいっぱいついちゃって。フランスの宮廷文学で主人公になっちゃって、ものすごく有名になっちゃった。

僕は、イギリス人には昔から言うんだけども「あんたたちにとって一番大事なのはアーサーなんかじゃないんだ。アルフレッドという人だ」と。「アルフレッドがいなかったら今英語なんて言語はないんだよ」と。

結局、アーサー“っぽい”王が1回だけ勝った後、ケルト人は追いやられるようにウェールズへ。追いやったアングロサクソンが今のイギリス全体に定住したんだけど。そこへ今度はバイキングが襲撃に来た。スカンジナビアからどんどん強い人たちがやって来るの。だから、イギリスはもうほとんど乗っ取られ状態。
もう4分の3以上乗っ取られちゃって、残ったのがテムズ川の南側。ウェセックスという辺りなんだけども。そこの王様がアルフレッドという人。これが実にすごい王で、病弱だったんだけども策士であり、戦の先頭に立つ英雄であった。数では圧倒的に敵わないバイキングに対して何故か勝つの。なんで勝ったかというと、ゲリラ戦を行ったの。

村山: そんな話は学生の時聞いてないですよね?(笑)

小島: してないしてない(笑)

村山: 今聞いていて、すごく面白いから(笑)。なにをしたんですか、ゲリラ戦は。

小島: 例えばね、あそこらへんでバイキングがキャンプを作っていると聞くと、夜になってから少人数で出かけて行って寝込みを襲うの。これやられるとね、バイキングもさすがに寝ぼけているからあっちこっちでやられちゃうの。
結局手を焼いて、アルフレッドとバイキングの大将・グスルムが協定を結ぶわけ。ウェドモーア条約と呼ばれる条約を結んで、今のロンドンとロンドンから斜め上にあるチェスターという街があるの。その二つの都市を結ぶように斜めに線を引いて、この線を境に北側をバイキング、南側はイギリスってしたの。

写真:英語のいしずえと英雄たち

村山: それ何年くらいですか?

小島: 878年頃だったかな。ここがやられていたらイギリスはもうないんだよ。
ところがアルフレッドという立派な王がいたから、かろうじてここにイギリスが残って、英語が存続することになる。これが古英語。それがあったがために今のイギリスがあるもので、だからアルフレッドという人があんたたちにとっては一番大事なんだと。とイギリス人に言っても奴らにはわからない。

村山: (笑)。

小島: アルフレッドという名前はなんとなく知っているんだけど、何度言ってもダメなの。彼らにとって大事なのは、その後にフランスからやってきてイギリスを占領したノルマンディー公ウィリアムという男。

村山: 占領したのに?

小島: そう、この人のほうが彼らにとって遥かに重要なの。占領されていた時代を経て、大英帝国になっていったわけで、そういう意味でウィリアムは偉人なの。だから今純粋なイギリス人なんてもういないの。

村山: いないんですね。

小島: アングロサクソンとフランスの混血になっちゃっているの。つい最近もBBCがDNA鑑定をして純粋なイギリス人を探し出すってやっていたけども、ほとんどいないですもん。

村山: ほー。

小島: そのウィリアムがやってきたところで、古英語という時代が終わるの。

村山: なるほど。

小島: これが大体古英語の概略。

文学の深みから古英語の深みへ

村山: 先生以前イギリスの入国審査の時に「古英語やっている」って言ったら「なんでそんなものやっているんだ」って聞かれたって、おしゃっていましたよね。イギリス人に聞かれるぐらい、言ってしまえばマイナーな分野の古英語に、なんで先生は興味を持ったんです?

小島: 僕はね、古英語に興味を持ったんじゃなくて学生時代は文学小僧だったの。D・H・ローレンスって作家が大好きで、卒論もそれで書いたの。で、就職活動するのも嫌だから大学院に行こうとした。それで、卒論をお願いした松原教授という方がいて、僕は松原教授をもう心底尊敬していて大好きだったから「先生お願いします」って先生に見ていただいた。
けれど、「大変よく出来ているけど、お前のこのやり方では文学はわからない」ってビシーっと言われちゃったの。それで、進学するのか?って聞かれたから「はい、そうです」って。そうしたら「じゃあ教育学部に上田稔というすごい男がいるからそこへ行け」と。

村山: じゃあそこで文学は断念しろって言われたんですか?

小島: そういうこと。もう二年生の時から卒論の準備始めてロレンスのことずっと勉強していたんだけど。断念して、大学院に入って0から古英語を始めたわけ。

村山: 文学は違うって言われて、「先生は間違っている。俺のやり方が正しい」とは思わなかった?

小島: 思った!

村山: 思ったんですね(笑)。

小島: でね、僕は未だに自分の卒論は傑作であると思ってる。

村山: でも卒論はよくできているって言われたんでしょう?

写真:文学の深みから古英語の深みへ

小島: うん。だけど例えばD・H・ローレンスっていう作家の葛藤の激しさとかね、そういうことはこういう理詰めでやったんじゃわからないと言われて、どっちかというときっと松原先生は「こいつは文学じゃなくて語学向きなんだな」と感じたんだと思うんだよね。それで、言われたとおりに上田教授のところへ行って、古英語に出合ったんだけど、最初は大変。

村山: だってそれまで見たこともないですよね?

小島: 文学部に古代中世英語っていう、両方いっぺんにやっちゃうアバウトな授業があって、一応それは出ていたんだけれども、なんの役にも立たない。本当に0から始めたの。

村山: それで0から始めて「こんなものがあるのか」って。多少は知っていたけど、なんでそんなにのめりこんじゃったんですか?

小島: やり始めたらね、これが面白いの。先輩たちもいたんだけど、あんまり出来る先輩たちじゃなくて渋々やっていたような人たちで。じゃあ僕が一生懸命やろうって思い始めて、そのうちに上田先生に「君、古英語やるならゴート語知らなかったら話にならない」って言われて。ゴート語なんて世界中どこ行ったって教えてくれない。これはもう独学でやるしかないと。

村山: え、独学ですか?

小島: そう、「ゴート語文法」といういう本を買ってきて、ゴート語勉強して。ゴート語だけではなくてラテン語やったり。そういうことやってくと古英語やっているのがどんどん面白くなってくる。

村山: どんどんわかってきて?

小島: そうそう。繋がりがわかってきちゃうから。で、今に至る。あそこで松原教授が「お前なんか文学わかんない」ともし言わなかったらみきちゃんと会ってないんだよ。

村山: そうですよね(笑)。いや、思います思います(笑)。

小島: で、そのままずーっと古英語の研究を続けながら女子大で教えていて、そうしたら早稲田に来いって話になったから。これは上手い具合だと思ってね。

村山: それが33歳の時?

小島: 34だったかな、確か。それがみきちゃんたちが1年生だった時。

写真:早稲田大学創始者

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