天職に辿り着くまで
河合: 話が変わるんですけど、黒田さんを見ていると今の仕事が「天職」のように思うんですよね。ある程度もう幼少期から「これがやりたい」ってのが見えていた感じなんですか?
黒田: 父がキッチンデザイナーだったんですよ。凄い建築が好きで、絵も本当にうまくて、芸術の才能に長けている人で。6個上の兄も今、建設会社で設計部門に所属しています。兄貴の姿を見ながら、父の影響も少しうけながら、何か選択に困ったときになんとなくそっちの道に進んでいた、みたいなところはありますよね。
河合: 大学は建築学科ですもんね?
黒田: そうですね、建築学科です。
河合: その後、社会人のキャリアとしては?
黒田: 専門課程を終えて、大学院へいけるもんだと思っていたんですけど、落とされてしまったんですね。それまでに浪人と留年を一年ずつしていたので、もう一年止まるのか、どうしようか悩みました。丁度その時は安藤忠雄さんが先生でいて「僕は今2年ストップしてしまって、大学院にチャレンジするか就職するか悩んでいます」という話をしたら「お前はガタイがいいからプロレスをやったらどうか」って。
河合: (笑)
黒田: そんな感じで。
大学院は諦めて「もう働こうかな」とは思ったのはよいものの、いざ就活しようと思った時にはすでに4年の夏。一般的には就職活動終わっている時期ですよね。とりあえずどうすれば建築家になれるかを考えて「有名な建築家のところに弟子入りすると建築家になれる確率が高そうだ」と短絡的に考えて、当時一番建築家が輩出された事務所を訪ねていきました。
そのうちの1つが最初の就職先になる隈研吾さんの事務所なんですけど。
河合: すごいですね!隈さんって今や知らない人いないじゃないですか?
黒田: 2002年で、当時隈さんの事務所は20人くらいでしたね。ちょうど事務所の支えになっていた方が独立されたばかりで、でも仕事はものすごく増えてきている状況だったので、もう入った瞬間からいきなり「これお前担当プロジェクトだから」って感じでした。
ただ、「なんか自分はあまり設計するっていうことに合ってないなあ」とぼんやり思っていたんですね。でも、とりえず続けてみようと思って3年。区切りを決めてやりはじめて、色々失敗しながら続けて、最後に個人住宅を一軒。ゼロから完成まで自分でやって、一区切り付いた時に「やっぱ俺は設計の道じゃないな。」と。
河合: なぜですか?
黒田: そう感じた理由は3人大きな存在がいて、1人目は大学時代の同級生で課題に集中しすぎて意識を失うやつがいて、そいつほど俺は真剣に取り組んでないなと感じたこと。
2人目は、隈事務所の同期が、同い年なのにすごい良く建物のことをわかっていて、細かい収まりとかどうやって建物をつくるかが分かる。「こいつがやった方が絶対良いだろう」と思ったこと。
3人目は師匠でもあった隈さんです。本当に忙しい方で、あれだけの数のプロジェクトを一人の人間がすべて同じクオリティでこなすのは至難の技です。
でも、もちろん空間やデザイン、まちづくりには関わりたい。それで、建築家ではなく、コーディネイターのような職業になろうと抱くようになったんです。
河合: 自分で設計する役割ではなく、つなぎ手というイメージですかね。
黒田: それで次にどうしようか考えたときに、ちょうど「都市デザインシステム(現UDS)」っていう会社があって、都市デザインシステムの役割というのはまさにコーディネイターだなって。前段にもお話しましたが、「つかう人」と「つくる人」を繋いで、事業全体をコーディネイトするということは「僕がすごいやりたいことだなぁ」と感じて、「転職をしよう」と思いました。
河合: その後、森ビルさんに転職されますよね?
私が最初にお会いしたのはその頃でした。そこからまたUDSに戻ったんですよね。
黒田: 2015年の夏に、久しぶりUDS会長の梶原さんにお会いしたんです。そこで「これからどうしていくのか?」という話になったんです。当時、実は次の転職を考えていて、興味を持っていた一つがGoogleでした。
河合: Google?意外です。日本ですか?アメリカ本土に?
黒田: アメリカ本土ですね。「サイドウォークラボ」というのが出来たんです。Googleは今や検索サービス以外にも、様々な分野で研究開発をしていることは知られていますが、彼らは今、自動運転や人工知能以外にも、食や健康、住空間、あるいは「都市開発」にも広げているんですね。「サイドウォークラボ」で行われる「まちづくり」に興味を持っていて、梶原さんに「そこに行きたいと思っているんです」という話をしました。
河合: なるほど。
黒田: それを話したら梶原さんに「それは違うね」って感じで完全否定されてしまいまして(笑)
「なんでお前がGoogleに行く必要があるんだ。Googleを使って、一緒になにかやればいいじゃないか。今までに設計をやって、企画をやって、開発もやって、営業もやって、運営もやってきたじゃないか」と。「建築不動産に関わることを全部やれてきたんだから、そのキャリアを今棄てる必要はないだろう。もっと重要な“会社を経営する”ってことに一緒にチャレンジしてみないか?」と言われたんです。
梶原さんは僕の尊敬する先輩の一人で、考え方や生き方にも非常に影響を受けています。
そんな梶原さんに誘っていただいたのはうれしかったですね。それで今、UDSの執行役員としてやっています。
なぜ世界がワクワクするまちづくり
河合: 黒田さんが経営メンバーとしてこれから注力してやっていきたいことって、どんなことですか?
黒田: もちろん東京でどれだけできるかというのもあるんですけど、今は海外や地方で、もっともっとチャレンジしたいって思っています。
河合: 具体的なプロジェクトなどもあるんですか?
黒田: 上海と北京を拠点とした「誉都思(ユードゥースー)」という中国の関連子会社を作りまして、2017年に北京に自分たちで企画・設計してホテルを運営するプロジェクトがあります。良品計画さんと組んで「MUJIホテル」というブランドで展開しようと思っています。天安門広場に面したすごく良い立地で、二年後にオープンの予定ですね。
東京一極集中でやっていくのではなくて、各地方や各国に小さいUDSを作って、それぞれが企画・設計・運営を全部回していく。そういうかたちで、街ごとの街づくりに貢献できればなと考えています。
既に、沖縄には沖縄UDSを作って、始めているところです。
河合: なるほど。フォーマット化された統一ブランドイメージで拡大していくということではなく、それぞれの街や文化、風土、人に合わせたまちづくりをしていこうと?
黒田: はい。既に5個くらいのホテルプロジェクトが沖縄で動いていて、実際に運営もおこなうので現地に会社をつくることになりました。沖縄出身のメンバーもそっちに入って、人も増えています。
東京で働いている中で、地方がどんどん衰退していくのを見て、「自分の地元をどうにかしたい」という人は結構いるので、こういう人たちにとって地元のまちをつくるプロジェクトに関われる場を提供する、そういう仕組みを創れるといいかなと思っていますね。
河合: いいですね。
黒田: UDSにはコンセプトブックというのがありまして、「世界がワクワクするまちづくり」というのが事業ビジョンなんです。
河合: いいフレーズですね。
黒田: このコンセプトブックは、昨年の6月に役員で合宿してつくったんです。もともと、慶應の井庭先生が考案した「Future Language Workshop(フューチャーランゲージワークショップ)」という手法をUDSでも協力させていただいていて、未来の理想に対して、現状の課題と未来の理想像をどう結び付けるかというフレームワークで考え議論しながら、フューチャーワードというかたちで取りだして、組み立てました。
河合: 一つのコピーに、思いのすべてを込めて言語化するのは、膨大なインプットが必要ですもんね。
黒田: 事業ビジョンとしては「世界がワクワクするまちづくり」。さらに、組織のビジョンとしては「世界のまちにUDS経営者をつくる」。小さいUDSを創るってことですね。そして僕らのUDSスタイル、ミッションとしては「新しい価値を生み出す選択肢を提案し、その未来まで責任をもつ」。新しい仕組みを創っていくというところですね。空間も含めて。
これらVISIONとMISSIONに基づいた10の行動基準というものもつくっています。
事業VISION「世界がワクワクするまちづくり」
組織VISION「世界のまちにUDS経営者をつくる」
MISSION「新しい価値を生み出す選択肢を提案し、その未来まで責任をもつ」
―UDS STYLE―
1.クライアント・フォーカス
2.エンドユーザー目線
3.チームアップ
4.売りを作る
5.新しいしくみをつくる
6.まちへの貢献
7.Act Global, Think Local
8.攻めて、突き抜ける
9.ちゃんと儲かること
10.自分が欲しいと思えること
河合: 全員の思いがつまったコンセプトブックなんですね。