恩師を訪ねて ~偶然を生かして、キャリアを生きる~

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オープンマインドな姿勢でキャリアを作る

一重:私は今ICT部門にいて、大学の専攻はネットワークコミュニケーションでしたけど、コンピューターが好きなわけでもWEB制作をしたいわけでもありませんでした。なんとなく「情報を扱うというところが面白そうだなあ」くらいだったんです。
卒業して印刷会社に入りましたが、この春から社内のインフラから自社開発のアプリや社内ツールを管理する部門の責任者をさせて頂くことになったんです。だから内心、焦っていて。

思い描いていたようには絶対ならないですし、特にサラリーマンは会社が市場の中で生き残るためのピボッティングをしようと思ってもリソースは限られている。そこにいる人たちでなんとか出来るようにスキルを上げるか、もしくは新しく人を雇うことが必要になってくる。

先生の授業にたまに呼ばれて講義しますが、そういうふうに「いろんなことがありますよ」というのをもっともっと学生には触れさせた方がいいんだなと思いました。

北山:キャリア形成ってそういうものなんだよね。自分がやろうと計画した通りにはもちろん進むわけがない。特に企業で働く場合はどうしても会社の都合で決まってしまう面があるよね。その時は「これは私のやりたいと思っていた仕事じゃないな」ではなくて、まずやってみないと。そうじゃなくちゃ仕事の魅力もわかるわけないし、自分の適性発見も出来ない。能力開発は出来ないことを出来るようになることだからさ。出来ないことが好きな人はやっぱり少ないよね。下手の横好きというのは、それが趣味だからであってね(笑)。

一重:そうですね(笑)。

北山:仕事をしていて「それ得意じゃないな」というのはまだやったことがないからそう思うわけで、出来るようになる過程が「成長」じゃない? やってダメだったらダメで、「ダメだった」という発見がある。向いていなかったとしたら最低限こなすだけの能力を身につけるのか、他のなにかをやるのかをチョイス出来る。
大学生の場合はキャリア形成に関して言うと、オープンマインドであることが、能力として必要なわけよ。断ることも出来るけど「出来るかわからないけどやってみます」とそれをやるために準備するようなオープンマインドがキャリア形成では多分重要なのよ。

一重:いやー、本当にそうですね。

北山:たくさんの企業が柔軟性を持つことが出来ず、もしくは過去の成功に捕らわれ潰れていった。でも人生の場合は潰れましたというわけにはいかない。最終的にはそういう柔軟性は要求されてしまうわけよ。だからむしろ積極的にハップンスタンスを利用できるような対応能力を持つことが大事。でも適応能力は勉強すれば身に着くものではないんだよね。結局は心の持ちようだから、むしろ心の持ちようを変えることの方が余程難しい。だからオープンマインドを身につけさせられるような仕掛けが必要なのかなと思うんだよね。

これは大学というものの社会的役割の変化だと思うんだけど、やっぱり今の大学システムは進学者が18歳のうち5%しかいないような時代に設計されたものなんだよね。今はもうそれが50%、首都圏だと60%になっている。すると、大学に社会的に求められている役割って変わらざるを得ないんだよね。学生に言っている以上、大学も求められている役割を考え、「自分達がやりたいこと」「自分達が出来ること」「世の中で求められること」、この3つのバランスを取れるようにしていかなきゃいけない。これは個人も大学も企業も、どれも実は一緒なんだと思う。

一重:確かに、しっくりきます。
あとはその人の人生のイベントもありますからね。特に女性は結婚や出産がありますから。

北山:それに合わせてやりたいことと、物理的にやれること。会社・家庭・組織で求められていることのバランスを取っていかないといけないよね。
単純に計画を立てて、それを着実にステップアップしていけば幸せへつながる、みたいなことにはならないからね。残念ながらそんなに人生単純じゃない。
結局オープンマインドな姿勢というのが重要なんじゃないかなと思うんだ。

一重:そうですね。

“働く”とは

一重:私、大学の授業で二回講師を務めさせていただいた時に「“働く”とは」ということを、授業の最後にパワーポイントの資料の中に記載したんです。

働くとは

ただ、自分なりに「“働く”ということはこういうこと」というのを出してはいるんですが、結局どういうことなのかは未だにわからないんですよね。北山さんにとって「働く」とは? 一言で言いなさい、と言われたらなんて答えますか?

北山:他者に「はたらきかけること」だよね。まず自分から他者に「はたらきかけ」、最終的に「働く」となるまでには、他の人の協力も得なくてはいけないよね。他者との関わりと協力の獲得が「働く」には必要。そして最終的には、そこに「なんらかの報酬」がある。つまり、「与えるなにか」があり、人との関わりの中で「協力の獲得」があり、「もらえるなにか」がある。「もらえるなにか」とは金銭とは限らない。一緒に働く仲間からの信頼かもしれないし、働きかけた相手からの感謝かもしれない。それは逆に人から得られる「働きかけ」ということになるから、そういうのを全部含めた上での「なんらかのはたらきかけ」と、逆に「はたらきかけられるなにか」が「働く」かな。
だから一言でまとめていうと「働く」ということは「はたらきかけ」を通じた人との「コミュニケーション」そのものではないかな。

コミュニケーション学部准教授として、良いまとめになりましたよ?(笑)

一重:なりましたねえ(笑)。
本日はとても良いお話を聞かせて頂きました。ありがとうございました。

北山:こちらこそありがとうございました。

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