恩師を訪ねて ~偶然を生かして、キャリアを生きる~

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目標や夢を描くということ

北山:これはアメリカでの調査なんだけど、18歳の頃になりたいと思っていた仕事に就いている人は2%くらいしかいないらしいんです。

一重:へー、そうなんですか?

北山:日本でも子供の頃に「将来何になりたいの?」といったことを必ず聞くよね。私も息子に聞いてみたところ「スポーツ選手もいいけど、これはちょっとなるのが大変すぎる」と言って「小学校の先生はどうかな?」と考えているみたい。

一重:今の子供は現実的ですねえ。

北山:私たち大人は子供に強制的に考えさせる、夢を描かせる文化を持っているんだよね。特にアメリカはアメリカンドリームを信じているから尚更子供に聞くんだよ。

日本でも将来の夢を決めておかないと「夢がない奴」「優柔不断な奴」と思われがちなんだけど、それは暫定的な目標としてなにかをやるきっかけに使われるべきなのではないかなと思うんだよね。

キャリア指導をしていると、学生の多くは将来何をやっていいかわからないし、自分がなにが好きかということもよくわかっていないようなんだけど、それって当たり前でさ。未来の予測はものすごく難しい。予測ができないから株式市場や投資家が成り立っているわけでしょう。未来の予測なんてできたら投資家で大成功できるわけでね(笑)。

一重:そうですね(笑)。

北山:そういう職業の人でも出来ない未来への予測を、世の中を全く知らないような10代20代が出来るかというと、出来ないですよ。出来ないんだけど、考えさせている。なにかをやらせるきっかけとしては良いと思うんだけど、一方でその考えに囚われやすくなる。
これが「将来こういう仕事に就きたい」と考えさせる時の問題だと思うのよ。社会圧力だって生まれてきてしまう。

一重:周りの環境なども大きく影響してくるものですよね。

北山:人生はいろいろな外部要因で変わってしまうし、計画通りに進まないことが元々現実世界の中心にあると思う。これは個人の人生もだし、企業もやっぱりそう。
情報産業みたいなものを研究していると、恐ろしく底力のある会社ですら自分達が「こうやろう」と思っていたように成長しているはずがないというのがわかるからさ。ものすごく小さな存在である個々人が考えた計画がそのまま進められると思うこと自体ちょっと傲慢じゃないかな、と。

だからそれを前提にしたキャリアプランの立てさせ方みたいなのは、私は変えていくべきなのかなと思っている。

一重:なるほど。それを学生に伝えているのですか?

北山:うん。
ただ伝え方がものすごく難しくてね。聞き方によっては「なにもしなくていい」というように聞こえる。「目標を立ててなにかしなさい」という話ではないから「じゃあなにしますか?」という話になる。ただ、なにもしないでボンヤリしてちゃもっとダメなわけよ(笑)。

一重:そうですね(笑)。

北山:実は「目標を立ててなにかしなさい」といったことは、「なにか」を「する」ために活かされるべきものなわけ。
だからいつまでもどこまでいっても暫定的であるべき。フレキシブルに変えられる柔軟さが重要。

一重:でもそれは自分で実際なにか目標を決めて、行動して、「上手くいった、いかなかった」で選択肢が倍々になっていく中で、人として成長があって柔軟性が身に付くという部分も大いにあるじゃないですか。だからなにもやらないよりはなにかやったほうがいいと思いますし、姿勢・視点を変えることはすごく大事だと思います。しかし、なかなか学生が意図通り動いてくれるケースは多くはない、という気がするのですが、どうですか?

北山:そこは伝え方も難しいし、理解するのも難しいと思う。「試してみないとわからない」ということは伝えられると思うけどね。
あとは学校教育の病でもあると思うんだけど、学校教育では「間違えない」ことが「善」とされる。だけど、人生のキャリアプランは間違えないと成り立っていかないわけよ。

一重:そうなんですよ、矛盾している。

北山:やってみてダメだったり、良かったりするから成長するんだよね。今はそれを就職活動の時に集中的に体験しないといけない仕組みにされてしまっている。

新卒一括採用という採用方式は、社会的なコストを考えてもすごく合理的でメリットのある仕組みだと思うけどね。まあ批判する人も多いからもしかしたら少数派なのかもしれないけど、私はそう思うわけ(笑)。

一重:(笑)。

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