視覚メディアのヒューマンインターフェイス
池田: ヒューマンインターフェイス系の研究って、最近はどんなことをやられているんですか?
面谷: 電子ペーパーの読みやすさとか、認識しやすさ。例えば、間違い探しを紙の上でやったときと、ディスプレイでやったときと、電子ペーパーの上でやったときに、発見率がどう違うか。
池田: 結果はどうだったんですか?
面谷: やっぱり紙が一番安定して良くて、ディスプレイは最悪で、電子ペーパーはその真ん中くらいかな。紙に近い感じですね。
池田: 間違い探し。面白いですね。今も学生がそういうテーマをもって研究しているんですか?
面谷: 今年の修士の学生の一人は、PowerPoint資料の添削を紙面上でやった時と、ディスプレイ上でやった時と、電子ペーパー上でやった時のパフォーマンスと快適度を定量比較しています。
池田: 作業パフォーマンスに紙なのかディスプレイなのかが影響してくるというのは、一般的にはなかなか気づけていないんでしょうか?
面谷: 実感としてはあるでしょう? 確認をディスプレイでやってしまったから間違えたという。
我々でも「修正するときは紙で確認したほうが安心だよね」とか、「最終原稿を出す前には一回くらいプリントアウトしとかないと怖いよね」とか、実感はあります。
では、なんでディスプレイ上だとだめなのか、何で紙ならいいんだろう、というのはなかなか難しい問題で、そこが研究テーマのひとつ。
池田: 理由はどんなところなんでしょう?
面谷: 一般的にいうとディスプレイ上は、作業が早い。早く済ませちゃう。紙で出すと、腰を落ちつけてじっくりやる。被験者テストで「間違い探しが終わったと思ったら、完了してください」と言うと、ディスプレイでやる人たちのほうが早くて、紙のほうは時間がかかる。結局、間違い発見率はかけた時間とほぼ比例するという結果が出ました。
「はいはいもう終わっちゃいました」と早く終わったディスプレイのほうは、それなりの発見率。もっと粘れば、間違いが発見できたかもしれないのに。
実験をやれば、そこまではわかる。じゃあ、なんでディスプレイは急ぐかというと、それはまだわかっていません。
池田: なんでだろう。
面谷: 「ディスプレイ=早く済ませるもの」という意識が潜在的にあるからかもしれないです。
「ディスプレイは目に悪いそうなので、なるべく早く作業を済ませたほうがいいよね」、という心理が働くのかもしれない。テレビは眺めるものなので、食い入ってじっと見るものじゃない。眺めて「はい終わり」、となるのかも。
紙に出すと、「じっくり読んでみようじゃないの、じっくり取り組んでやろう」という心理になりやすい。
面谷: もっと根幹にあるのは、ディスプレイを見るときはスクロール作業が要る。紙だとまるまる1ページ見えることが保証されているでしょう。でもディスプレイに入れた途端に、全体が見える保証はなくなります。
見比べるのにも、良い作業効率にはならない。こっち見て、またあっち見て、本当は時間がかかるはずなのに早い時間で終わっているのは、ろくなチェックをしてないということ。
こういうのが、電子ペーパーの人間工学的な研究です。
池田: なるほど。
「電子教科書世代」への危惧
面谷: それに関連して言うと、2020年から電子教科書を導入しますということを文科省が宣言している。個人的に教育効果は大丈夫なのかと心配しています。
ゆとり世代と揶揄する言葉があるでしょう。あんな風に2020年からは電子教科書世代とかと呼ばれて「電子教科書世代は使えない」なんて言われたりしないかな? そういう警鐘を今から鳴らしたほうがいいかもと思っていて。そういう面の研究も始めてみようかな。
池田: うーん。なるほど。
面谷: 紙を単に電子に置き換えただけではカバンが軽くなる以外、生徒にとってはメリットがない。
例えば、喋る英語の教科書とか、歴史の名場面が動画で載っている社会の教科書とか、理科の教科書なら実験を動画で見るとか。紙の教科書ではできなかったことをいろいろやってコンテンツの充実をはかることで、単なる置き換えじゃなくてプラスアルファがあるように教科書の中身自体をちゃんと見直す。それなら、電子教科書世代のほうが賢いと言われることになるかもしれません。
教育効果はさておき、「とりあえず紙をディスプレイに置き換えるんだ」という風潮が見えるのが心配。
池田: 確かに教科書に線引くとか、そういうこともできないかもしれないですよね、見るだけだと。
水上印刷株式会社 営業部 課長
大学時代に光工学・色彩を専攻していたことから、自然と印刷会社に興味を持ち就職活動を展開。その中で知った水上印刷の「ひと」に惹かれ、入社を決める。
入社後は大学で学んだ知識を活かして、営業としては稀なオフセット印刷技能士の資格を取り、その後は様々な営業グループを渡り歩きながら、特にマーケティング、プロモーション分野で能力を発揮。2010年にチーフに昇格、2015年には課長に昇格。現在は、外食チェーンのクライアントを中心としたグループのマネージャー。三児の父。
面谷: 電子教科書の媒体自体も個人で買うとかなり費用がかかるから政府が買って全員に無料で与えるのか、という問題がある。
個人で買うことになると、電子教科書を買えない子とか、あるいは安い端末しか持てない子が劣等感を持つような教育格差が起こり得る。
池田: それはありますね。大丈夫なのかな?
面谷: 端末を持っている生徒は、授業中にネットで違うことをやっているとかね。今だって会議のとき、みんなパソコンを広げているけど、つまんない話だとついメールチェックしたりとかしているでしょ。
池田: ばれないですもんね(笑)。
面谷: 教室でそういうことが起きたらめちゃくちゃになってしまうから、紙の教科書でやれることが制限されている状態は、教室の運営上はとても助かる。
教育の電子化というなら、日本で一番良い講義ができる人が一人、電子授業をすればいいことになります。そのコンテンツを見ればいい。
それじゃ先生って何のためにいるのか、教室って何のためにあるのかと考えると、生徒は理想的な、向学心のある子ばかりじゃないからです。とりあえず学校に来ているけど、やる気がない子も含んでいるのが普通の教室。
池田: そうですね。
面谷: そうすると、教室は何のためにあるか。
教室は監獄でとりあえず90分の間、生徒を閉じ込める。先生は何のためにいるかというと、先生は看守なんです。
池田: 看守(笑)。
面谷: 放っておくと逃げ出すやつがいるから、見張っている(笑)。教育の実態はそうなんですよ。みんなが理想的な向学心に燃えているわけではないから。だからやる気のある子もない子もとりあえず90分閉じ込めて、その時間くらいは勉強しよう、というのが教室なんですね。
文科省の行っている根本的な間違いは、学生が全員向学心に燃えていることを前提にしていること。それは現実に合ってない。
池田: そんなことは確かにありえないですね(苦笑)。
面谷: 全ての議論がそれを前提にしているから、実態に合わない。例えば反転授業という授業のやりかたが最近話題になっている。授業の中身の学習は家でやってきて、学校ではそれをグループディスカッションしたり発表したり、復習や確認する場所にする。向学心のある子は予習するだろうけど、予習せずにやってきた子はその時間どうすればいいのか。
池田: 事前に読んでおいて、現地でディスカッションするみたいな研修は、大人はありますよね。子どもたちにやらせるには、子どもによって差がありますよね。
面谷: なぜ現実に合わないのかというと、多様な生徒がいることを認めてないから。
電子教科書の話をするには、教育の基本概念まで問題にしていかないといけない。単に紙の教科書がディスプレイ上に移行するどころの話じゃないんです。