「あなたの仕事、どこまで奪われたらあなたでなくなりますか?」

「知覚拡張=ヒトの境界を格闘する技術」 あなたの仕事、どこまで奪われたらあなたでなくなりますか?


大学時代の専攻は物理学、大学院は修士課程が社会工学、そして博士課程は音響工学。
全く違う分野を専攻しながら、全てを絡めて「人間拡張工学」を掲げ、人の五感を六感、七感、八感へと広げんと取り組む研究者がいる。はたして、その時世の中はどう変わるのか。情報を“取り込む”側から見る、情報発信のインフラ、印刷会社はどのように見えるのか。
「あなたの仕事、どこまで奪われたらあなたでなくなりますか?」という命題をリサーチ・イシューに持つ、筑波大学システム情報系・知覚拡張システム研究室 助教、善甫 啓一氏に話を伺った。

善甫 啓一
善甫 啓一
筑波大学システム情報系
助教
HP:http://www.xpercept.aclab.esys.tsukuba.ac.jp/
-Profile-
2008年、筑波大学第一学群・自然学類卒業後、大学院へ進学。大学院システム情報工学研究科において、経営・政策科専攻の後、知能機能システムを専攻。2013年に筑波大学 システム情報系・博士特別研究員を経て独立行政法人「産業技術総合研究所」サービス工学研究センター・産総研博士特別研究員に就任。その後、2014年に筑波大学システム情報系の助教として教鞭をとる。
幅広い知識を元に、アレー信号処理,センサー信号の大規模データ活用・統合,レコメンドや異常検知などのサービスシステムを専門として研究に従事している。
遠藤 拓哉
遠藤 拓哉
水上印刷株式会社
ICT革新部次長
HP:http://www.mic-p.com/
-Profile-
大学卒業後、NTTデータに入社。流通業界向けのITソリューション営業の後、人材開発コンサルタントや公共・金融分野の人事人材開発のプロジェクトリーダーとしてグローバル人材等に携わった後、2016年1月水上印刷株式会社にICT革新部の部門長として参画。
「攻めのIT経営」とグローバル化を推進するため、社内ベンチャーさながらのスタンスでお客様や世の中への貢献と会社の成長に向けて旗を振る。
“情熱は世界をより素晴らしいものにできる”をテーマに情熱人にスポットをあてた本Digital Magazine「The PASSION」の共同編集長を務める。

1 2 3 4 5 6

#4 「あなたの仕事、どこまで奪われたらあなたでなくなりますか?」

人間らしさ=選択の自由

遠藤: ちょうど先日、グローバルな人材育成をされている方と対談をさせてもらったとき、「Don’t mind」と「Good try」という話を仰っていたのを思い出しました。日本人は失敗したときに「ドンマイ!」って言うけど、海外の人は殊スポーツにおいては「グッドトライ!」だって。

再考・グローバルカンパニー論#3 「ボーダー(境界線)を越えるのは驚きと強気」より
http://thepassion.jp/talk/borderless-company03/

善甫: ああ、なるほど。

遠藤: いわゆる加点要素、減点要素でいうと、減点で考えないっていうことですが、ついつい自分はよほど意識しないと、「費用対効果とは何が減ったか」みたいな話に行っちゃうんですよ。それで結局何ができたかとか、プライスレスとは言わないですけど、ちょっと目に見えない、直接的に見えない、次できることあるよねっていうプラスアルファとか、付随、派生効果とかにもっと目を向けなきゃいけないな、というふうに思ったんです。

じゃあセンシングによって知覚できる感覚は広がったときに、自分がやらなくてはならないことが減るわけじゃないですか。その代わり、浮いた時間に人間は何をするんだろうっていうのが、まさにさっきのマズローの図でいうところの上の段階だと思うんですけど。上の段階で人間は……。

善甫: そうですよね。何なんでしょうね。

写真:ヒトの仕事って奪われたの?

遠藤: 何をしたら、人間は人間らしくあるために、浮いた時間で次のことができるんだろうっていうのを認識しておかないとですよね。

善甫: 人工知能とかを専門でやっている人からツッコミを受けてしまうかもしれませんが、多分、気分によって選択を変えることができるっていうのが人間らしさだと思うんですよ。人間がラプラスの魔(※4)みたいな感じで、全ての情報を持っていて、全ての情報を基に、そこから先どういうふうな結論になるのか。機械の力を使って全て見えていたとしても、多分、今日はこんな気分だからなあって言って、選択することができる。
無限に賢くなっても最終的に気分でモノゴトを選べるっていう、ある程度の揺らぎがあるかどうかなんだろうなっていうふうに思うんですよ。

※4:『ラプラスの悪魔』
フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスにより提唱。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。 — 『確率の解析的理論』1812年

遠藤: 生活が便利になって、もし周りに配慮ができるなら、もっと他の人のことを考えられるんじゃないかなって思うときがあるんですけど、便利になったからといって社会的欲求より上の段階へ行っているかといえばそうではなくて、残念ながらまだ人間はとどまっているんじゃないかって気になります。

善甫: うん、だと思います。

遠藤: 本当はもっと上位に向かっていく方が良いはずなのに、俺はいいやとか、友達と仲良くやってりゃいいやとか。じゃあ今、世の中としてとか、隣の人といい社会になっているかっていうことには、本当の意味の社会的になっていないんじゃないかな、と。

善甫: その通りだと思います。

遠藤: 個人的な欲求の中で、個人的に満たされ知り合いとの関係性ができれば、もうそれでいいんじゃないかと。そういう意味での人としてどうかっていったら、まだ上の二段があるんだろうなって。ちょっと今日の本題と逸れちゃいますね。

善甫: だけど、そうですよね。周りの人、多分その人たちって、そこに対しての関心を持つための感度が脳みその中にないんだろうなって思っていて。

遠藤: そうですね。

善甫: それっていうのは、養わなきゃいけないもので。脳科学、よく分からないですけど、そこに対して意識的になっていると、その間で例えば優先席とかで、おじいちゃんおばあちゃんとか妊婦さんが立っている状態だなっていうところに、もともとアンテナを持っていない人なら、スマホの方を見ていて別に気付かなければ、そっちに意識がないから、ちらっと見えてもすぐにそのちらっと見えた情報から意識まで通すパスが多分脳の中でできないんでしょうね。だからまあまあ、別にそれは人間の脳の意識にたどり着くまでの人間の仕事じゃなくてもいいとは思うんですけど。

遠藤: なので、目が合ってセンサーはあるからそれを見れば脳に届くのだけれども、今度は逆に、脳がそれを見ようっていう配慮として外に対するアンテナが立っていなければ、結局それは知覚できていないってことですよね。

善甫: そうですよね。

遠藤: さっき、人間って気分によって選択って言ったときに、すごい気持ち悪いと思うんですけど、気分がもしセンサーで見えるようになったら変わるのかなとか。人の気持ちをセンサーで感じ取って、この人は今すごい困ってるんですよとかっていうふうに感じ取ることで優しくなれるんだったら、便利かもしれないですけど。それをセンサーに頼るとしたら、人間って本当に人間らしくなくなっちゃうなとか。

善甫: だけど、困ってる人、助けが必要ですよみたいな人がいて、そこに対して助ける助けないは個人の自由だと思うんですね。

遠藤: そうですね。

善甫: そこが気分によって変わってもいいと思うんですね。

遠藤: なるほど。意思決定自体は。

善甫: 最終的には。意思決定するとかっていう気分って、腸によってかなり変わるとか。意識の持ち方って結構変わるとかって話が最近有名ですよね。

遠藤: 腸っておなかの腸ですか。

善甫: はい、その腸です。第二の脳とか言われているらしいですけれども。

遠藤: へぇ。腸の気分ですか?

善甫: 曖昧な知識で恐縮なのですが、腸の中の細菌の善玉菌、悪玉菌のバランスとかで、ポジティブなのかネガティブなのかっていうのが変わるらしいっていう話もありますし。そう考えると、そもそもその気分っていうのは、ある程度コントロールできるものでもあると思うから、本当に気分っていうものが人間を定義付けるものとは思わないんですけれども。だけど、選択権を持つっていうような、ワガママな選択権を持つっていうのが、ヒトらしさなんだろうなって。

遠藤: いい意味でですね。

善甫: はい。エゴイスティックな選択権を持って、それがいいことやったとかって。それが別に、エゴイスティックっていう単語使っていますけども。社会正義っていう言葉に置き換えてもいいですし、倫理っていう言葉に置き換えてもいいと思いますし、偽善っていう言葉に置き換えてもいいと思うんですけども、こうしたことを基に選択するっていうところは、やっぱり最後は人間の仕事なんだろうなと思うんです。

遠藤: そうですね。あくまでも入り口の情報を元に、アウトプットなアクションを起こすところをつなぐ関数とかシステムとか、判断っていう処理自体は、人に残るってことですよね。

善甫: 式を展開して、分かりやすい式にするっていうところは機械がやっていいと思うんですけど。じゃあこれがどっちなの?良いのか悪いのかこの結果は?って式を展開した結果、これが良いのか悪いのかって判断するのは、やっぱり最後人の仕事なんだろうなって。

遠藤: そういうことですよね。決定権は人間にある。

善甫: ワガママに決定を下せるっていうところなんじゃないのかなあと思うんですけど。今のところ僕の仮説では。どうなんでしょうね。

遠藤: けど、やっぱりそこなんじゃないかなっていう気もしますよね。
オックスフォードだったと思うんですけど、2030年なくなる仕事みたいなランキングで見ると、やっぱり割と機械というかロジックで処理ができる仕事が減る。

善甫: そうですね。

遠藤: 電話をかけるとか。

善甫: マニュアルを作れるものはそうですよね、きっと。

遠藤: そのときに、残るのがやっぱりクリエイターとか、デザイナーとか、あとはカウンセラーとかっていうふうに、本当に高度な、まあ高度って何が高度かにもよりますけど、人がヒトとしてまだ考えたり判断したり、いろんな要素を一応考慮している部分が残る仕事が、職業としては残る。だから人としてっていう意味で決めるとか考えるとかいう部分がまだまだ残るんだなっていうふうに……。

善甫: 思うんですよね。

写真:あなたの仕事、どこまで奪われたら、あなたでなくなりますか?

#1 知覚拡張とは
#2 知覚拡張の活用場面
#3 技術の価値と人間の価値
#4 「あなたの仕事、どこまで奪われたらあなたでなくなりますか?」
#5 情報をデザインし、選択を導く
#6 ヒトの境目はどこにあるか

最近の投稿