恩師を訪ねて ~美術に触れる・旅のすすめ~

1 2 3

書籍の顔

萬代: 研究室に置いてある本や美術品は、今でも先生が買っているんですか? 私が在学中の頃よりも、どんどん作品が増えていっていますけど(笑)。

小川: そうですね、買っています(笑)

美術コレクション

萬代: 「美術を買う」ということが、一般の人はなかなか出来ないと思うんですね。
友人で創作活動をしていて、作品を売っている子がいるんですけど「若い人たちに『美術を買う』という感覚を身につけさせるために、私は作家活動している」という子がいます。

現物を「観る」だけではなくて、それを「買う」という行為にためらいなくお金を出せるような世の中になってほしい、という考えらしくて。
確かに、作家の作品を「買う」ことが日本には根付いていないな、と思いましたね。

小川: その子、面白いですね。確かに美術品を「買う」行為は日本には根付いていないですよね。

萬代: 私も大学時代、友達とグループ展で油絵を展示したことがあったのですが、フィンランドの方が私の作品を買ってくれまして。本当にもう、私の作品を見た瞬間に「買うわ」という感じでしたね。
多分日本人の感覚には素人が描いた作品をそのまま買っていくというのはないのではないかなと思いました。

小川: ヨーロッパの人は、きっと「買う」のが日常的なのですよね。
美術品は、単に展覧会で「観る」だけではなくて「物」として慈しむ対象となっている。

最近、書籍でもそう思うんですよ。例えば、ここに並んでいる書籍はすごく装丁がしっかりしているのだけど、最近はもうほとんどこういう本がないですよね。

萬代: ないですね。こういうハードカバーというか、箱に入った形の本はなかなかないですね。今はそれこそ電子書籍がすごく多いじゃないですか。

小川: そうそう。
まあ、電子書籍は電子書籍で良かったりするんだけどね。
この間長谷川利行という画家の記事を書くために画集を買ったんですよ。それが昭和17年刊行の初版本で、現物を取り寄せたら結構ボロボロだったのだけど、それでも手で撫でて愛でたくなるというか、大事にしたくなるんだよね。

長谷川利行

萬代: 紙の重さとか温かさとか匂いとか、そういうのありますよね。

小川: そう。やっぱりすごく装丁に力を入れているというか、愛情が感じられるんだよね。
そのブックデザイナーもすごく優秀な人だっただろうし、なによりも編集者が書籍を作ることに愛情を持っていたからだと思うんですよね。
そういう感覚を今の書籍ではあまり持ったことがなかったので、ものすごく新鮮な感じがしてね(笑)。

萬代: 作る過程が変わってきたのもきっとあるんでしょうね。
本当に今、DTP関連のソフトもすごく進化してきているし、印刷においても「ネットで注文、すぐプリント」みたいなことが簡単に出来る時代じゃないですか。

それに比べると昔の編集者が記事を書いて校正を行い、一つの本にするという作業は、今の何倍も時間がかかるものだったと思います。製本作業もそうだったでしょうし、やっぱりかけた時間が伝わってくるのだなと思いますね。

小川: 伝わってきますよね。
そういう本はなかなかコストがかかると思うので、難しかったりもするんでしょうけど、あったほうがいいなと思います。

萬代: そうですよね。

小川: 授業の中でも装丁に関することもたまにやるんですけど、最近はほとんどカバーがかかっていますよね。ハードカバーのものは特にかかっている事が多い。
だからカバーをめくったところの装丁にあまり力が入れられていない、ということはあるのかなと。書籍の顔は表紙ではなくて、カバーになっているよね。

萬代: 本自体というよりも本を装う外側、皮の部分がメインになっていますよね。

小川: 昔はカバーがなくて表紙がむき出しだったから、表紙にすごく装丁デザイナーが力を注いだ。そうやって出来たすばらしい装丁の本自体も「物」としてすごく大切な存在になっていくのだろうね。
そんな想いをみんなに体験してもらって、そういう本も増えて欲しいなと(笑)。

「物」として大切な本に触れる

萬代: きっと量産はしにくいのだと思いますけど、確かにそういう本が減っていますよね。大体小さくて、薄くて、プラスチックの表紙で、みたいなものが多いですから。
やっぱり「これはちょっとお金がかかるから」というふうになってしまうんですかね? 「どうせなら凝って作りたいよね」という気持ちも分かるんですけど、印刷会社の立場からすると、結構厳しいものがありますね。今だからそうやって思う(笑)。

小川: もちろん本にもよりますけど、装丁をある程度凝ったほうが売れるのではないかなとも思うんですけどね。

萬代: 確かに本屋さんで見た時に目を惹くのは、今量産されている同じようなデザインの小さい物よりも「なんかこれだけ違うぞ」という凝った物のほうが目には留まりますよね。
長く家に置いておきたい本になりそうな気がします。

最近は本を読んだ後は古本屋さんに売ってしまったりして「長く自分の元に置いておく」ことより、情報だけを求めることが多くなってきているのかなと。だからきっと電子書籍は栄えてきたのかなというふうに思いました。

小川: まだ古本屋に売られてリサイクルが出来れば良いんですけど、やっぱり本が売れなくなってくると出版社や新聞社は困りますからね。

私は電子書籍も結構読むんですけど、アマゾンのキンドルアプリは読んでいる途中の本については画面を開けたときに表紙が表示されないんですよ。でもね、表紙がないとすごく物足りないの。紙の本なら読んでいる途中でも手に取った段階で必ず表紙を見るじゃないですか。

萬代: 確かに。突然始まるってことですよね?

小川: 突然始まるんですよ、途中のページから(笑)。
是非表紙の表示をするべきだと思います。
例えば小説だとタイトルのみの表紙ってあるじゃないですか。それを途中から読む場合でもキンドルを動かしたりアプリを立ち上げて「読むボタン」を押した時点で、表紙を見られるようにすべきなのではないかと私は思うんですよね。

萬代: 確かに物理的に本を読むときは、途中にしおりを挟んでいたとしても絶対一番初めに見るのは表紙ですもんね。

小川: そうそう。しおりを挟んでいても表紙が最初に目に入って、ページをめくっていく。だから表紙ってやっぱり「顔」だし、かなり大きな「実体」の部分だと思うんですよね。

萬代: 普段私はそんなに電子書籍を読まないんですけど、それでも表紙を特に意識したことがないですね。本を手にとって読むときにはまず表紙が見えるんだ、ということも今話していて「そういえばそうだな」という気が。

でも、そうですよね。今自分がなんの本を読むのか、なんの本を読んでいたのか、ちょっと把握しづらい気がします。

小川: そうなんですよ。作家名と作品名を確かめるというのは、やっぱり表紙の役割になるしね。

萬代: 紙の本に慣れてきた立場からすると、やっぱり本棚から取り出して、本を開いて、という一連の動作が「読む」という行動だなと思ってしまいます。
これから電子書籍はもっと普及していくでしょうし、きっとこれから生まれてくる子どもとかはあまり違和感に気付かないかもしれないですね。

表紙の無い電子書籍

最近の投稿