修行は何かを得た9年というよりは、もう捨てまくった9年でしたね。

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の禅宗指導をされていらっしゃる東京都世田谷区、龍雲寺ご住職の細川さん。長い修行を続けられた方ならではの畏れ多い雰囲気の中に、とても人懐っこい笑顔。たくさんの深いお話を伺いました。全4回でお届けいたします。お楽しみに!

細川 晋輔

臨済宗妙心寺派龍雲寺 第十二代住職 細川晋輔さん

HP:http://ryuun-ji.or.jp/
-Profile-
臨済宗妙心寺派龍雲寺第十二代住職。
1979年、東京世田谷生まれ。2002年佛教大学人文学部仏教学科卒業後、京都にある妙心寺専門道場にて9年間の禅修行。花園大学大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了。妙心寺派布教師。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」禅宗指導。

龍雲寺さんの成り立ちを教えてください。

1699年にできた、臨済宗っていう禅宗のお寺なんですけれども、そもそもお寺の歴史としては新しいほうです。臨済宗のお寺には例えば信長とか秀吉といった有名な武将のお墓代わり、「自分のためのお寺」というのが結構あるのですが、このお寺は有力な人物のお墓代わりの寺ではなく、地元の人が作ってほしいと言って出来たお寺なのです。それがこのお寺の特色で、いまでも地域に愛していただいています。龍雲寺という名称ですが、野沢ってつけてみなさん野沢龍雲寺って呼んでくださってるんですよ。
なかなか地名がお寺の名前についてることってないので、それがすごいうれしいです。バス停にもなっていますしね。

ほんとですよね。龍雲寺行きですもんね。

僕は12代目になるのですが、実は10代目の住職が東急バスと掛け合って、ここまでひいてきたそうなんですよ。
ここは、三軒茶屋と学芸大学と駒沢大学の魔のトライアングル地帯って言われてるんですけど(笑)、バスが通ったことで、地域の人からも結構喜ばれています。駅から15分歩くのでなかなか交通の便が悪いんですよね。
お寺は、もともと環七沿いにあったのですが、東京オリンピックのときに環七が広がることになって、畑だったこの土地にお寺を持ってきたので、この建物自体はオリンピックと同い年なんですよ。

伺った歴史よりも新しい建物だなと思いました。とても素敵なお寺ですよね。身が引き締まる思いがします。

ありがとうございます。最近、若い住職さんが「敷居を下げる」ということをよく言うんですけど、それはどうかと思うんです。「敷居を下げる」という言葉は本来「不義理をしてしまって足が向かない」っていう意味で、敷居はそもそも下げるもんじゃないですし、お寺独自のちょっとよそ行き感、非日常という敷居の高さはある意味守っていくべきだと思っています。

確かにちょっと気に入られようとしすぎる風潮がありますよね。

その辺のラインをうまく引きながら、お寺に行くときはちょっと気合入れて行くみたいな感覚ですかね。
重松さん、先日伊勢に参られたとお聞きしましたが、あれを日常生活のウォーキング気分で行っちゃいけないと思うんですよね。なんか自分の心に思うところがあって、自分のステップアップとかレベルアップのために伊勢神宮に行くと考えると、ちゃんとした格好で、前日はお酒飲まずに、そういう非日常的なのを持って、あそこに行くっていうのが日本の宗教ってものなのかな。

神社やお寺に入ると背筋がしゃんと伸びる感じがしますもんね。
昔からご住職になることは決まってらっしゃった?ご兄弟はいらっしゃいますか?

兄一人と妹が二人います。

お兄様もお坊さんなんですか?

兄は僕から見たら絵に描いたような天才で、東大を卒業し今は大学で教授をしているんです。教育がすごい好きで、兄はかなりの葛藤があって、「寺を継がない」とう選択をしました。そんな中、次男坊が空いていたというか(笑)

そうするとお兄様がそっちの道に行かれたから継ごうと思われたってことですか?

そうですね。お坊さんになったときは何か「世のため人のため」とかそういうのは全くなくて、目の前にその道しかなかったって言うのが正直なところです。
でもお坊さんになるのは案外嫌いじゃなかったんですよ。ここに生まれ育って、お坊さんに対する憧れっていうのもありましたからね。まさかここを自分が継ぐとは思ってなかったです。
道場に行って、兄が継がないっていうのがわかったときに、東京に戻るのかなっていうのはありました。そもそもどこか地方でやりたかったんです。13年関西に住んでいたし、京都の風土がすごい好きだったので、できたら京都に行きたいなと思ってたんですけどね。
まあ、育ててもらったお寺の恩に報いるためにも、帰ってこようと思ったのがちょうど震災の年でした。

その修行はおいくつくらいからいかれたのですか?

22歳で大学を出てから32歳までの丸9年行っていました。
修行は朝3時に起きて、坐禅したり畑仕事をしたり夜12時まで修行で、一日3時間しか寝れません。朝3時に起きるのは大変だってよく自己紹介で言うんですけど、実は早起きとかはたいしたことではなくて、それよりももっとすごかったのは、共同生活っていうこと。自分の個室が全くなく、自分の私物を入れるロッカーは畳一帖の10分の1くらいしかないので、持ち物が限られたということ。そして携帯電話をもてなかったことというのが、自分の中では大きなことでした。

9年間携帯電話もってらっしゃらない?

はい。もうニュースも何もわからない。友達が激減したっていうのが正直なところですね。
でも同時に電話がないと楽だなとも思っていました。
今「電話のない世界に行きたい」って心から思ったりすることもありますよね(笑)
でも絶対持てないとなると、あの時は楽だったなと思うんですよね。

今も、もう一度修行に行くことってあるんですか?

今はお寺の住職としての責任もあるので、難しいですね。でも少なからず“憧れ”のようなものはあります。大変そうですが・・・。
そういう意味では当時知らず知らずにやっていたことにすごく心安らぐ場所があったんだよなと思うんですよね。
人生って実はそんなもんで、貴重な時間だったと後から気づくもんなんだな~。

ほんとそうですね~
修行ってどういう感じなんですか?相当厳しいんですか?

すごく上下関係が厳しかったんです。「言い訳しちゃいけない」当時はかなりめちゃくちゃだったと思うんですけど、でもそれがすごい楽だったんですよね。

楽?

上の人に言われたとおりやっていればいいわけで、逆に何か考えてはいけないんですよ。言い訳もしちゃいけないんで、とりあえず謝る。怒られたら謝る。言われたらやる。
22歳の僕の中では言い訳はいくらでも出てくるんですが、それを一切言っちゃいけないっていうのは、今から思えばすごくいい世界でしたよね。逆に言えば謝ったら許される世界。
だから、修行はみんな厳しい厳しいって言うけれど、実は僕は楽だったと思っていて、まあ、税金も払ってないし、将来の不安を感じることなく、修行さえすればご飯を与えてもらえる、そんな9年間でした。
何かを得た9年というよりは、もう捨てまくった9年でしたね。物も友達も恋愛も青春も何もかも全部捨ててしまったので、そこから出てきて、今色々やってみたいという気持ちになりました。

それもあって、だいぶ精力的でいらっしゃるんですね。

 

(撮影協力:本多佳子)

#1 修行は何かを得た9年というよりは、もう捨てまくった9年でしたね。
#2 坐禅は心の句読点
#3 僕にとってお坊さんは道楽です!
#4 迷ったときは変な気休めはせずに本当に迷ってみる