巨大外食チェーン、マクドナルドのV字回復を支えた立役者、足立光氏。そのとき、何を考え、何を実践したのか。ビジネスマン必見、必殺仕事人の仕事術をおうかがいいたしました。全4回でお届けいたします。お楽しみに!
日本マクドナルド株式会社 上席執行役員 マーケティング本部長 足立光さん
HP:http://www.mcdonalds.co.jp/
-Profile-
一橋大学商学部卒業。P&Gジャパン(株)マーケティング部に入社し、日本人初の韓国赴任を経験。ブーズ・アレン・ハミルトン、及び(株)ローランドベルガーを経て、ドイツのヘンケルグループに属するシュワルツコフヘンケル(株)に転身。2005年には同社社長に就任。赤字続きだった業績を急速に回復した実績が評価され、2007年よりヘンケルジャパン(株)取締役 シュワルツコフプロフェッショナル事業本部長を兼務し、2011年からはヘンケルのコスメティック事業の北東・東南アジア全体を統括。(株)ワールド 執行役員 国際本部長を経て、2015年より現職。
まず足立さんのこれまでのキャリアをおうかがいしたいのですが。
大学のゼミでマーケティングを学び、マーケティングのベストプラクティスであるP&Gを知り、インターンをしました。日本ではなく世界で活躍できるようなキャリアを目指していたので、そのまま入社しました。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のバブルの時代で、友人のほとんどは日本の銀行、証券、保険、商社に行く時代です。外資系企業なんて選択は普通ありえないし、メーカーなんてもっとありえなかったので、うちの親は泣きましたよ。「大学まで出て、ギャンブルの会社に入るのかって」(笑)。これは実話ですけど。そのくらい、当時としては「ありえない」選択だったと思います。
P&Gでは大阪(後に神戸)の本社勤務でしたが、キャリアを積むなら東京だなとずっと思っていました。でも韓国に日本人で初めて赴任する話をもらい、これはチャンスかもと。新製品開発部の初代マネージャーなど、それまでにも日本のP&Gで「初めて」的なことをいろいろやっていましたから。しかし、2年でアジア危機が起こって、帰国することに。帰国してまた同じブランドマネージャーをやるくらいなら、新たなキャリアを積もうと転職を考えました。
P&Gのマーケティング部しか知らなかった自分としては、短期間で、いろんな会社、いろんな職種を勉強したいと思い、コンサルティング会社にいきました。そこでも有名な会社ではなく、みんなが知らない会社の方がチャンスが多いと考え、世界的には有名だけど、日本ではあまり知られていないブーズ・アレン・ハミルトン(当時)に入りました。で、すぐマネージャーにもなり、5年後、他社に移った社長と一緒に移ったのが、同じくコンサルティング会社のローランド・ベルガーです。当時20数人の会社で、これから伸ばしていこう、という時期だったこともあり、普通にプロジェクトマネージャーをやりながら、広報や採用の責任者もやりました。死ぬほど忙しかったですが、短期間でいろんな「濃い」経験ができたのが、とても楽しかったです。
ただ、結局アドバイスしかできないコンサルタントよりも、自分で責任を持って事業を運営してく方が楽しいな、と前から考えていたこともあり、事業会社に戻ろうと決めました。そして、今度もやはり世界的には有名だけれど、日本では無名で、かつ赤字会社だったヘンケルに行きます。
ヘンケルはマーケティングで入ったつもりが、入社すぐ2ヶ月位で、社長にならないかという話があり、結果、35歳で日本での社長になりました。
社長になられたのは35歳でしたか!!
まあ、人気のない会社にいくとね、そうなるんですよ(笑)。それで、35歳からヘンケルの日本市場でのコスメティック事業B to C(現シュワルツコフ ヘンケル)の責任者(社長)をやって、赤字から2年で黒字化しました。3年目からは、黒字化したB to Cの事業に加え、B to B事業(シュワルツコフ プロフェッショナル)の責任者を兼任しました。このB to BとB to Cを1人の責任者が統括するというモデルは、実はヘンケル世界初で、テストケースだったんですよ。で、SCM等のバックオフィスを統合したのが成功し、この「B とCを1人が統括する」モデルは、その後アジアとかヨーロッパとかに展開されていきます。日本のコスメティック事業の総責任者になってから、3年位で、今度アジアをやらないかといわれ、2011年から北東アジア・東南アジア全体の責任者として、1ヶ月のうち3週間は、海外のどこかにいる生活でした。
その頃、「いつも海外にいて、日本にはほとんどいらっしゃらない方だなあ」と思っていました。
朝起きて「ここはどこだっけ?」ということから始まる生活を3年以上していましたかね。ヘンケルのコスメティック事業の韓国での立ち上げ、ベトナムとタイの総責任者等、転換期でもあり、いろんな仕事をしました。アジアの最重要拠点となる中国を担当していなかったのと、今後ドイツの本社に転勤もないなと思ったので、これ以上の自分の成長が見込めないなと判断し、10年在籍したヘンケルから転職することにしました。結果、知り合いに誘われ、日本のアパレルメーカーのワールドに行きました。
実はそれまでも、同じ会社にいたとしても、3年以上同じことをやったことは、一回もありません。P&Gでもヘンケルでも、2~3年で実績を出して、次のアサインメントに移る、という連続でしたし、コンサルティング会社では数か月ごとに、次々と新しいプロジェクトが始まりましたから。
ワールドでも、完全な「立て直し」の役割でした。赤字の海外事業の黒字化と、本社のリストラを一部担当していて、それが2年でほぼ終わったので、今度は当時、売上が下降し続けていて、過去最大の赤字に陥っていたマクドナルドに来たというのが、約2年前です。
なので、キャリア的には前半はマーケティングで、後半は再建屋と言えますね。だから、転機は?といわれても、いっぱいあってわからない。何か計画的にきたわけじゃなくて、全部偶然できているんですよね。
その偶然は、ご自分で引き寄せている感じじゃないんですか?
いや、引き寄せているっていうか、たまたまですよね。基本的に仕事は、目の前にあるものを、全力で、必ず成功させようとしている感じです。その代わり、結果を出して、2、3年で変わっていく感じですよね。
今マクドナルドでは、マーケティングの責任者をされていますが、足立さんにとってこの仕事の責務ってなんですか?
マーケティングって、定義がないんですよ。世界中にないし、日本にもない。会社によってマーケティング部の役割って、ずいぶん違う。あんまり統一した「これがマーケティングだ」ってものが無いんです。
しかも、自分がマーケティングをやるのは、実はP&G以来16年ぶりなんです。よくマクドナルドの「マーケティング責任者」として採用されたなと思います(笑)。ただマーケティングの本質というのは、結局どの業界でも会社でも変わらなくて、最終的には「人(お客様)の心を動かす」仕事なんですよね。だから、シャンプー買ってもらうのも、選挙で投票してもらうのも、宗教で高い壷買ってもらうのも、広義のマーケティングなんですよ。
今、マクドナルドの場合は、食事をしたり休憩をしたりする場所が他にいろいろある中から、何らかの理由でマクドナルドへ来て頂いて、何かをお買い上げ頂く。より多くのお客さまに、より頻繁にご来店頂けるよう、お客さまの心を動かす。これがマーケティングの何より重要な責務です。
加えて、マーケティングって企画をやる人に見られがちですが、実は実行がほとんどで、実行のためなら何でもするっていうのが、マーケティングの二つ目に大事な責務なんですよ。ビジネスを伸ばすためにできることは、直接にしろ間接にしろ、全部やるのがマーケティングなんですよね。明らかにやらなくてはならない仕事があっても、どの部署の仕事でもない曖昧な仕事がいっぱいあるんです。それをうまく拾ってあげて、動かしてあげるっていうのが、とても大事ですね。いわゆる映画のプロデューサーのように、その映画が成功するためには、人や金の手配から、何でもやる。それがマーケティングの2つめの責務です。
3つ目は、事業が継続的に成功できる仕組みをつくることです。たとえばブランディングも、その「仕組み」のひとつですね。単発で成功しても、継続性がないと事業としては成功しないので、成功をある程度継続できるような仕組み、たとえばマーケティングの考え方を方程式化・仕組み化するとか、組織を作るとか、するということです。そのブランドや事業の経営者としての側面、がマーケティングの責務の3つめです。
つまりマーケッターの役割は、
1番が「扇動者」です。人の心、結果として行動、を変えること。
2番は「プロデューサー」です。必要なお金や人材を取ってくるとか、いろいろあると思うんですけど、成功するために必要なことは全てやること、です。
3番は「経営者」なんですよ。成功が継続する仕組みをつくるっていう、そんな感じですよ。
この3つのマーケッターの役割は、ある程度の会社ごとの「マーケティング」の定義が違いこそすれ、大体の会社のマーケティングの部署にあてはまるはずです。
この3つを意識してうまくやれるから、ここまでいらっしゃったということなんですね。
うまくやったかどうかはわかりませんけどね。でも負けず嫌いではあります。マージャンすると、自分が勝つまで帰しませんよ。お酒飲んでも一緒ですね。だれか倒れるまで帰らない(笑)。
そんな負けず嫌いの足立さんは、どんなお子さんでしたか?
まず、手のかからない子だと言われてました。勉強しろと言われたこともないし、放っておいても、自分で全部決めてやります!みたいな子供。結構小さい頃からそうだったらしいです。自分のことは自分で決める。たとえば高校時代、学校の授業では日本史をとっていましたが、受験は独学で世界史でしています。自分でこうやると決めて、実際にやってしまう、手のかからない子供でした。
あと、中学の友達に会うと、「今だったら、足立は間違いなくハッカーになってたね」という話になるくらい、今で言う「オタク」でした。友達のガンダムのプラモデルを僕が作ってあげて高く売るみたいな、商い体質もあるオタクです(笑)。
一方で、一人で引きこもっている「オタク」ではなく、結構色々なお友達と遊びに行くことも多く、社交性のある「オタク」でもありましたね(笑)。いまだに小学校中学校の友達とか仲良いですからね。
私も娘が生まれたので家庭教育が気になるところなんですが、足立さんは親御さんにこういう風に育てられたっていう記憶ってあります?
我が家では、「勉強しろ」と言われなかったっていうのもありますけど、「自分のことは自分で決めろ」と延々と言われました。要は、「勉強しなくて、こういう学校に行くと、卒業後、こういう選択肢しかない。いい学校にいけばいくほど、選択肢が広がる。どうするかは、自分で決めてね」という感じでいわれてました。
自分が高校時代は、海外の学校という選択肢は考えてもいなかったので、そうするとこう、偏差値がどのくらいの大学にいくのかって話なんですよね。そうすると、上に行けば行くほど、勉強は大変なんだけど、将来の選択肢は広がるし、そういうお友達が将来増えますよって。あとは自分の好きにしてって。そういう風に育てられました。
第1回は、足立さんのこれまでのキャリアヒストリーと共に、マーケティングの責務についておうかがいいたしました。次回は仕事人という人生を楽しむ秘訣を教えていただきます。ではまた来週!
#1 マーケターから再建請負人、再び人の心を動かすマーケターへ。
#2 仕事を楽しめない人はかわいそうだなと思う。
#3 自分の名前がブランド。だから結果にはこだわる。
#4 コントロールできないことでは悩んだり、へこんだりしない。